古伊万里の良さとは?|日本で最初の磁器!
磁器である古伊万里の歴史は深く、世界中にコレクターがいます。
ただ、歴史が深いぶん「ゆがみ」などが発生しやすく、管理の難易度がかなり高いです。
したがって、いらない古伊万里を所持している方は、コンディションを下げる前に売却することを推奨します。その方が鑑定額が高くなりやすいです。
今回は古伊万里の良さや歴史に関してお伝えしていきます。
国内で最初の磁器ある古伊万里
日本で最初の磁器である古伊万里。
佐賀県有田で江戸時代に制作されました。
「伊万里焼」という名がついたのは、その頃、伊万里の港に有田で作られた磁器が集まり、様々な地域に運搬されていたからです。
それゆえ有田で製造された磁器でも、古伊万里や伊万里焼に分類されるのです。
過去の記事「日本の器大百科」で磁器・陶器の差と産地ごとの性質まとめ|焼き物リストをご紹介しています。
古伊万里のファンは国外にも非常にたくさんいます。
実際、古伊万里が生まれてから1世紀以上に渡って海外に輸出されていました。
食器として使う方もいれば、観賞用に仕入れる方もいましたが、
とにかく多くの人達に愛されてきたのです。
また「権力のシンボル」とみなされていた時期もあり、現在でも「ジャパニーズ・イマリ」「オールド・イマリ」「イマリ」などと言われ、丁重に取り扱われています。
古伊万里の歴史
「李参平」という朝鮮の陶工が、有田の泉山で質の高い陶石を見つけたのが江戸時代初期のこと。磁器の素材のことを陶石と言い、これをきっかけに日本で最初の磁器が誕生したと見られています。
藍一色の「初期伊万里」というのがその頃の伊万里焼であり、技術が発展していなかったがゆえに、ムラやゆがみがかなり目立ちます。
しかし、それこそが魅力であるとされ、収集家などに高く評価されています。
中国の色絵技術が導入されるようになったのが1640年代くらいのこと。
本焼きが済んだら、絵の具で黄色や赤色を付けて、低温でもう一度焼きます。
世界中でこの「色絵磁器」が高く支持され、ヨーロッパの磁器にもこれを参考にしたと考えられるものが多いです。
貿易時代には、色々な磁器がオランダ東インド会社の注文によって制作されるように。
この時代には、ヨーロッパ人が親しんでいた「ひげ皿(皿の一部が欠けたもの)」「大きなツボ」「水柱」などの輸出が盛んに行われていました。
それからしばらくして、日本人向けの磁器の制作が活発になります。
中級層、大名、公家などにも愛される食器としてだんだん普及していきました。
小皿、お椀、鉢、急須などがたくさん作られていたと見られています。
古伊万里は海外でも人気です
古伊万里は古くから海外でも人気でしたが、今でもたくさんの外国人が骨董市に足を運んでいます。
「繊細かつ、豊かな色彩」という特徴的な絵柄は、外国人にも親しまれています。
文様の中には今に受け継がれいるものも存在しますが、古い陶器特有の「味」を東洋的なアクセント(シノワズリーなど)と捉え、机に飾ったり置物にしたりしている店も少なくありません。
古伊万里の「今」
江戸時代初期に誕生して、発展してきた古伊万里はおよそ4世紀に渡って伝統を受け継いできた価値の高い磁器です。
伊万里焼のうちでも、古伊万里は収集家などの間で特に愛されています。
それゆえ古伊万里の骨董品は、専門店で高額売却できるかもしれません。
ただし、プロでないと古伊万里をはじめとする骨董品の値打ちをきちんと見抜くことができない可能性が高いので、まずは専門家に無料鑑定をしてもらうことを推奨します。
古伊万里の偽物も多く出回っております。
「出張買取」をしてもらえば、店に着く前に壊してしまうなどの心配もなくなります。
最後に
「古伊万里の良さとは?|日本で最初の磁器!」をご紹介しました。
家の中に眠っている、ガラクタだと思っていたものが、実は高値の付く磁器かもしれません。
心当たりがありましたら、一度は鑑定士に見てもらうことをおすすめします。
「福和堂」では、経験豊富な鑑定士がお客様の骨董品をはじめ、茶道具や美術品など、さまざまな物品を査定いたします。ぜひご相談ください。
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