墨の世界で有名な古梅園とは?【古梅園買取 極上油煙墨高価買取】
古梅園の買取 書道具の墨の売却にお悩みでしたら、是非お声がけください。極上油煙墨高価買取にご期待ください。特に古い墨は良い具合いに水分が抜けており高くお買取できる傾向にございます。
4世紀以上営業している「奈良墨」の名店
日本の墨の生産量の9割オーバーを奈良墨がカバーしています。そのうち、墨を「スス採り」から作っているところは、日本では「古梅園」以外に存在していません。
古梅園が誕生したのは安土桃山時代のことであり、それから4世紀を超えて営業しています。伝統的な製造方法とクオリティーを今なお大事にしており、人々に愛されています。
4世紀に渡って磨き上げてきたテクニックと製造方法を、現在も重視しているその心意気こそが、古梅園の墨の要になっているのでしょう。
受け継がれる門外不出の方法で製造される墨と質の高い油煙
「染み」という言葉が「墨」という名称の由来であるとされています。
墨は虫などのダメージを受けず、何世紀にも渡って使い続けることもできる質の高いアイテムです。
民間で最初に墨産業に取り組んだのは古梅園です(江戸時代中頃)。
「紅花墨」が、七世元藁により誕生しました。
その頃の作り方と素材のまま、現在も製造が継続しているのですから驚きです。
墨は「素材」によってタイプ分けされており、主に「松煙墨」という松ヤニを燃焼させて製造するものと、「油煙墨」という桐・ゴマ・菜種のオイルを燃焼させて出したススを素材にしているものが存在しています。
「油煙墨」には優れた光沢があり、濃い黒色であり、粒子も微細であることから、クオリティーが高いとみなされています。
興福寺の二諦坊で、持仏堂の天井に灯りのススが蓄積しているのを回収して、ニカワとそれを混合させることで油煙墨が製造されたのが、「最初の油煙墨造り」だとされています。
また、「揉み」も大切にしないと、質の高い素材を用いてもハイクオリティーな墨を製造することはできません。
ススとニカワを混合させて練ることで、墨が製造されるのですが、「揉み」によって練ることになります。そして、この「揉み」にかなりの労力がいるのです。
「香料を加えて、人力でツヤツヤするまで丁寧に練る」という原始的な方法が現在にも受け継がれています。
マシンにより作られる十把一絡げの墨とは違い、クオリティーは非常に高いと言えるでしょう。
奈良墨を興した古梅園
月ならで雲の上まですみのぼる これはいかなるゆえん成(なる)らん
念聲寺(奈良市)に存在する歌碑の歌であり、この歌の作者は永田(鯛屋(たいや))貞柳(ていりゅう)です。
この歌は、「松井元泰(げんたい)という古梅園の6代目が、御所にビッグサイズの墨を提出した慶事」の様子を表しています。
「由縁・油煙」、「済み・墨」、「奈良・なら」をかけたこの歌は高く評価され、作者は「由縁斎」を自称するようになりました。
油から採取したススのことを指して「油煙」と呼びます。
そして、ニカワでススを凝固させることで「墨」の状態になります。
「松煙」という松を燃焼させて製造する墨がそれまではメジャーだったのですが、油煙墨が登場してからは奈良を中心に多くの人に愛されるようになり、一大産業にまでなりました。
ビッグサイズの墨を御所に提出
1577年に古梅園が誕生し、6代目をメインとする18世紀前半に広く愛されるようになりました。京都御所に墨を要求されたことが大きな契機となりました。
その墨は、「千歳松」というネーミングを御所直々に頂戴したようです。
1715年の「方壺(ほうこ)眞人(しんじん)」と「「大玄(たいげん)鴻寶(こうほう)」が、先ほど紹介した、歌のモチーフとなっているビッグサイズの墨です。
角張った墨と丸型の墨であり、重量はおよそ12キロで、サイズはおよそ53センチでした。
墨産業が盛んな中国でもこの規模の墨が製造されたことはなかったそうです(ビッグサイズであればあるほど製造の難易度は上がります)。
「色合いに問題はないが、すったときの感触が悪い」というハードルが最初に発生し、元泰はトライアンドエラーを重ねました。
「使っているニカワが中国のものと異なるのでは?」という疑問を持った彼は、幕府の承諾を得てから、長崎に行って調査しました。「職人としての意地」が見えるエピソードだと言えるでしょう。
「古梅園墨譜」という拓本集を、元康自身とその息子が制作しました。
素材を渡して清で製造させた墨、清のプロフェッショナルが製造した墨、幕府や御所に提出した墨、などが記録されています。
表面の柄は流行を取り入れたもの
ニセモノ・ホンモノ論争が巻き起こった「東奥壺石文之圖(とうおうこせきぶんのず)」のミニチュア、織田信長などを虜にした香木のミニチュアである「蘭(らん)奢(じゃ)待(たい)」なども墨に導入されていました。
「元康の知識量は凄まじく、商売人としても一流でした」と、古梅園の営業部長が語っています。
元康の息子も元康の意思を汲んで活動しました。中国や日本の有名な墨のレプリカも作りましたし、徳川吉宗にまつわるゾウ(動物のゾウのことです)が死んでから、そのゾウの皮を素材とするニカワを使って「香象墨」も作りました(幕府の要求に応じた形です)。
「紅花墨」という墨の代表とも言える逸品は、今も愛されています。
今も古梅園は、奈良で墨を作り続けています。広い敷地と歴史を感じさせる店の外装が特徴的です。奈良の「墨屋仲間」は1800年代前半には50箇所ほど存在していたのですが、今では9箇所にまで縮小しています。「固形の墨を作っている」という条件を足すともっと数は減ります。
ただ、経産省が奈良墨を伝統工芸品認定しましたし、まだまだ活力はあります。
加えて、「玄々斎(げんげんさい)随筆」という元康が後の世代のために制作したといわれる書籍の翻刻が、少し前に登場しています。
「素材を大事にせずに、欲張って製造を行えば、必ず家業はダメになってしまいます」
という意味の文章が載っているのが印象的です。
最後に
「墨の世界で有名な古梅園とは?【古梅園買取 極上油煙墨高価買取】」をご紹介しました。
家の中に眠っている、ガラクタだと思っていたものが、実は高値の付く墨かもしれません。
心当たりがありましたら、一度は鑑定士に見てもらうことをおすすめします。
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