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日本の器大百科|磁器・陶器の差と産地ごとの性質まとめ|焼き物リスト

日本の器大百科

日本は古来から盛んに焼き物制作が嗜まれてきた国です。

今でも陶磁器の産地が日本中に存在しており、31種もの陶磁器が「伝統工芸品」認定を受けています。

 

ここでは日本の焼き物のタイプや、産地ごとの焼き物の性質などについてお伝えしていきます。

 

 

磁器と陶器の差は?

 

 

仕上がりの差

 

仕上がった磁器と陶器には以下のような差が見られます。「陶器と磁器の違い

 

陶器

磁器

叩いた際の音

低く鈍い低音 綺麗な金属音

光を通すか

×

水の吸いやすさ

吸いやすい 吸いにくい

素地の色

80種超(緑色、青色、黒色、赤色、白色など) 白がほとんど

風合い

厚手で素朴さや土の暖かさを思わせる 薄手で洗練された滑らかさ。ガラス質が高い

貫入(表地と釉薬の間のヒビ模様)

通常利用でも見えてくる

厚く釉薬を使うと発生しやすい

ほぼ目視できない(釉薬が薄いため)

高台(器の裏のへこんだ部分)

ザラザラ・茶色 美しく滑らか・白色

 

【釉薬とは?】

「ゆうやく」と読みます。
粘度などの素材を整形してから表面に使う薬のことです。
これを焼くとガラスのようになり、コーティング効果が得られます。 「うわぐすり」と言うこともあります。

 

 

磁器や陶器のお手入れの仕方は?

 

陶器:「高い給水性」に注目しましょう

 

陶器

12時間ほど水に入れておくと水分を土や貫入が吸うため、料理で使ってもニオイや油がうつりにくくなります。

陶器を買ったらすぐにこのケアをしましょう。

さらに、使う前にぬるま湯に入れる習慣を作るとシミが発生しにくくなります。

 

使い終えたらすぐに軽く中性洗剤で洗浄しましょう。

カビが発生しますので、着け置きは厳禁です。

器と器を重ねると破損しやすくなるので、それも避けてください。

そして、カラカラに乾燥してからしまいます。

 

カビができた場合は煮沸して除去し、通気性の良い場所で乾かすことを推奨します。

 

水を吸うため、電子レンジに入れるとやや膨らむかもしれません。

ただ、実用品として制作されたものであれば、その辺りことは配慮されていますのでほぼ問題ありません。

耐火性、耐熱性などについては、品物ごとの説明書をご覧ください。

 

 

磁器:頑丈ですが割れると危ないです

陶磁

最初にぬるま湯で洗浄して埃を除去しましょう。

以降、毎回洗浄するときは柔らかいスポンジと中性せんざいを用います。

 

陶器に比べると頑丈ですが、局所的な力がかかると薄いので欠けやすいです。

破損した場所は尖りやすいので細心の注意を払いましょう。

 

電子レンジに入れても基本的には大丈夫ですが、銀や金の絵柄に関しては気を付けましょう。銀や金の場所がレンジによって燃焼する可能性があるからです。

食器洗浄機でも剥げたり色が変わったりしますので注意してください。

紙などにくるんで剥がれないように保存することを推奨します。

 

 

焼き物の装飾技法について

 

焼き物には釉薬や絵付け以外にも、色々な装飾技法が宿っています。

そのうち、主なものを挙げていきます。

 

粉引(こひき)

萬古焼 銀峯 菊花 ご飯鍋 粉引

萬古焼 銀峯 菊花 ご飯鍋 粉引

白色の化粧土を器にかけ、そこに透明釉をかけて焼きます。

 

刷毛目(はけめ)

伊賀焼おひつ刷毛目

伊賀焼おひつ「刷毛目」

白色の化粧土をワラでできた刷毛で塗布して、独特の味わいを出す技法です。

 

掻き落とし

掻落し黒十草コーヒーカップ&ソーサー

掻落し黒十草コーヒーカップ&ソーサー

表面を削って模様を作ります。

 

三島手(みしまで)

清水焼・京焼 抹茶碗 三島手 みしまで

清水焼・京焼 抹茶碗 三島手 みしまで

「型」を乾いていない段階の器に押し付けて模様を作り、白色の化粧土を埋めた象嵌にしてから、透明釉をかけて焼きます。

 

櫛目

銅いぶし 櫛目 傘立て

銅いぶし 櫛目 傘立て

櫛のようなもので線を作り模様にする方法です。

 

飛鉋

福岡県伝統工芸品 小石原焼 【蔵人窯】皿飛びかんな

福岡県伝統工芸品 小石原焼 【蔵人窯】皿飛びかんな

ロクロで半乾きの素地を回しつつ、連続的な模様を鉋で作ります。

小石原焼などが有名です。

 

 

 

日本六古窯(ろっこよう)

 

陶磁器の産地が日本には非常にたくさん存在していますが、その歴史もとても深く、時代に沿った変遷を遂げつつも、古来からの技法が継承されてきています。

 

「平安の終わり~安土桃山からおよそ9世紀を超える歴史があり、今の制作されている」陶磁器窯のことを「日本六古窯」と呼びます。

六つしか条件を満たす窯がないことがネーミングの由来です。

 

常滑(とこなめ)「愛知県常滑市」
瀬戸(せと)  「愛知県瀬戸市」
越前(えちぜん)「福井県越前町」
丹波(たんば) 「兵庫県篠山市」
備前(びぜん) 「岡山県備前市」
信楽(しがらき)「滋賀県甲賀市」

 

 

中国や朝鮮から伝わってきた技術が宿る近世の窯(薩摩、高取、有田、唐津、萩など)とは明確に違うものとして扱われており、「日本の純粋な焼き物」という確固たる地位を守っています。

 

では、日本六古窯に関して詳しく見ていきましょう。

信楽焼

信楽焼 7号 福々狸オス

信楽焼は大物陶器として有名ですが、最初は「紫香楽宮(聖武天皇の離宮:奈良時代)」の屋根瓦を作るために焼かれたとされています。

 

信楽の土は質が高く、長石やケイ石の比率も高いため、特有の粗さが見受けられます。

室町時代の頃には、千利休を代表とする色々な茶人にその風合いが高く評価され「茶陶信楽」として知られるようになりました。

 

火鉢が作られるようになったのが大正時代の頃で、昭和に入ってから早い段階で狸の置物なども制作されるようになりました。

信楽を訪れた昭和天皇が、この狸を題材とした歌を作ったことから知名度が劇的に高まったのです。

 

産地:滋賀県甲賀市信楽町

産地情報

名称 信楽陶器工業協同組合
住所 〒529-1811
滋賀県甲賀市信楽町江田985番地

 

備前焼

備前焼 小西陶古ペアペアマグカップセット

備前焼 小西陶古 マグカップセット

六古窯の中で唯一、猿投窯(さなげよう)を源流としていない窯です。

邑久地域の須恵器系統の流れを汲んでいます。

 

日本一の須恵器の産地として栄えたのが平安時代のことです。

 

「窯変」で作られる模様や、赤みの強さや、焼き締めによる釉薬を使用しない手法などがユニークな焼き物であると言えます。

 

鉄分と田んぼの土が混ざった山土を混ぜて作った「田土(ひよせ)」により、茶褐色の地肌に仕上がり、使ううちにどんどん味わい深くなっていきます。

 

備前市の伊部地域で盛んに制作されていたため「伊部焼(いべやき)」と呼ばれることもあります。

 

産地:岡山県備前市伊部

産地情報

名称 協同組合岡山県備前焼陶友会
住所 〒705-0001
岡山県備前市伊部1657-7

 

丹波焼

夫婦飯茶碗 | 丹波焼窯元丹誠窯・兵庫県

夫婦飯茶碗 | 丹波焼窯元丹誠窯・兵庫県

平安時代の終わり頃~鎌倉時代の初期に丹波焼が登場したとされています。

「穴窯」で桃山時代まで焼いていたのですが、「登り窯」や日本ではレアな左回りのろくろである「蹴りろくろ」も導入され、その技術が現在も継承されています。

 

江戸時代前期には、茶陶が小堀遠州という茶人の主導で作られました。

江戸時代後期には、一房(いちふさ)、直作(なおさく)などの名人が篠山藩の補助のもと切磋琢磨し、丹波焼の知名度と評価を上げていきました。

 

穴窯の頃は「小野原焼」という名前でしたが、登り窯が導入されてからは「立杭焼(たちくいやき)」「丹波立杭焼」「丹波焼」などと言われるようになりました。

 

「登窯復興計画」が2014年に始動し、2018年の11月には焼成が実行されたようです。

 

産地:兵庫県篠山市今田町立杭

産地情報

名称 丹波立杭陶磁器協同組合
住所 〒669-2135
兵庫県篠山市今田町上立杭3番地

 

越前焼

越前焼 白雲彩 焼酎カップ ペアセット 

 

最初は主に須恵焼を制作していた越前町ですが、平安時代の終わり頃に常滑の技術を取り入れて「焼き締め陶」を制作するようになった事が、越前焼の登場のきっかけになったと見られています。

 

越前焼は頑丈であり、鉄瓶、藍染め、穀物・水の保存場所などとして盛んに利用され、船による運搬も頻繁になされていたようです。

 

室町時代からは、塗り物の容器である「お歯黒壺」がどんどん制作されるようになりました。

(お歯黒:結婚している女性が、そのサインとして歯を黒くすることです)

その後、風流人たちにお歯黒壺が愛され、一輪挿し等にも用いられました。

 

窯元の離脱が明治末期~大正時代の頃に立て続いたため、越前焼の存続が危ぶまれましたが、最近になってまた復活してきて、たくさんの陶芸職人が歴史を守り続けています。

 

産地:福井県丹生郡越前町

産地情報

名称 越前焼工業協同組合
住所 〒916-0273
福井県丹生郡越前町小曽原5-33

 

瀬戸焼

撫松庵 瀬戸焼 飯碗

撫松庵 瀬戸焼 飯碗 

猿投山の山麓(瀬戸市東南部)にて瀬戸焼が誕生したとされています。

植物の灰を猿投窯により釉薬に仕上げた「灰釉陶器(かいゆうとうき)」が、9世紀の前半頃に登場しました。

ちなみにその頃は、瀬戸焼しか「釉薬をかけて焼いて器を頑丈にする」という方法を採用していませんでした。

「瓷器(しき)」と言われ、主に有名寺院や京都などで用いられていたそうです。

 

ウィーンでの万国博覧会(1873)に瀬戸焼が出展されたことをきっかけに、パリやフィラデルフィア等でも盛んに出展されるようになり、好評を博しました。

この辺りから国外からの注文が増加し、瀬戸焼が世界的に有名になります。

 

ことに第二次世界大戦後は、高品質な「セト・ノベルティ」のニーズが高まり、日本国内のノベルティ輸出の大半を瀬戸の陶磁器が担う状況となりました。

(ノベルティ:陶磁器の装飾品や置物のことです)

 

産地:愛知県瀬戸市

産地情報

名称 瀬戸染付焼工業協同組合
住所 〒489-0805
愛知県瀬戸市陶原町1-8

常滑焼へと続く..

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